小茂田浜神社大祭(2022年は神事のみ)
文永11年(1274年)の元寇で元・高麗連合軍と壮絶に戦い、全滅した島主・宗助国と家臣団の魂を鎮めるため、武士の子孫たちが鎧に身をかためて小茂田浜に集い、神主が海に向かって鏑矢を放つ「鳴弦の儀」が行われるようになりました。奉納相撲や奉納太鼓、出店等で賑わいを見せます。
※現在は規模を縮小して実施しております。また新型コロナ感染症対策として開催が中止になる場合がございます。
文永11年(1274年)の元寇で元・高麗連合軍と壮絶に戦い、全滅した島主・宗助国と家臣団の魂を鎮めるため、武士の子孫たちが鎧に身をかためて小茂田浜に集い、神主が海に向かって鏑矢を放つ「鳴弦の儀」が行われるようになりました。奉納相撲や奉納太鼓、出店等で賑わいを見せます。
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対馬藩主・宗家の菩提寺で、国指定史跡の万松院では、一年に一度、約350基の灯篭に明かりを灯し、御霊をお祭りします。闇に浮かぶ無数の灯篭が、幻想的な幽玄の世界を醸し出します。
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旧暦8月15日に、厳原町にある八幡宮神社の大祭が行われます。1340年を数える由緒ある神社で、大祭時には屋台が多く並び、老若男女が祭りを堪能します。本祭の日には、神幸式(おさがり)行われ、宮司や氏子らの行列と神輿が厳原港を目指して練り歩きます。
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対馬の三大祭りの一つと言われる夏の風物詩、それが「対馬厳原港まつり」です。
ステージイベントをはじめ、江戸時代に朝鮮と江戸を往復した華やかな友好外交使節団「朝鮮通信使」行列の再現パレードなども行われます。
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対馬市厳原町の市街地で古くから行われている、子どものためのお祭りです。浴衣を着た子どもたちが、笹や色紙で飾られた町内各地のお地蔵様にお参りし、大人からお菓子をもらいます。地蔵盆は厳原の子どもたちにとって夏の楽しみのひとつです。
※新型コロナ感染症対策として開催が中止になる場合がございます。
旧暦の1/3、豆酘の雷(いかずち)神社(旧称:嶽之大明神)の社前で新年の祈祷と、新年の吉凶を占う亀トが行われます。この祭礼を俗に「サンゾーロー祭り」といいます。
貞享3年(1686)の『対州神社誌』には、「嶽之大明神。神体は則ち岩也。社無し。由緒不知。殿様の御占並びに郡中の焼占を正月三日に仕る。」とあります。
神主は殿様(島主)の御運、藩中の動静、朝鮮貿易の吉凶、群中の作物の豊凶などを占ったことが報告されおり、公式には明治4年の廃藩まで行われました。
現在この亀トは形骸化したが、祭礼の次第はほぼ古式に伝承されており、貴重な民族資料として有名です。
豆酘(つつ)は対馬の南の端に位置しています。ここには稲の原生種といわれる赤米の穀霊を神として祀(まつ)る行事が一年を通じて行われています。
中でも最も重要な神事が「頭受け神事」です。すべての神事を取り仕切る頭仲間と呼ばれている集団があり、御神体の赤米が前年の頭主(とうしゅ)の家から次の頭主の家へと「神渡り」するのです。
本座の中央に吊られた神の俵を降ろし、「お守り申す」役の背中に乗せられ、深夜、神様がお渡りして行きます。
その為、毎年旧暦1月10日の深夜に多久頭魂神社(たくづだまじんじゃ)にて行われています。
御神体は再び天井から吊るされ、豊作を祈願する「受取り渡し」の儀式が行われます。
レンタサイクルの貸出は、ふれあい処つしま 観光案内所までお越しください。
対馬南部・中部・対馬一周などさまざまな観光プランがあります。